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いろいろなことを考えるのが好きです。

ハラスメントをする側の意識を考えてみた

こんにちは。嫌がらせが大嫌いなぽんきちさんです。

今日は、ハラスメントをする側の意識について考えたいと思います。

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職場いじめ・パワハラのイラスト(男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

ハラスメントとは

「ハラスメント」と聞いて、私がまず思い浮かべるのは「パワハラ」「セクハラ」「モラハラ」「マタハラ」です。

相手の立場が弱いのをいいことに、攻撃を加えるというイメージです。

 

この認識はあっているの?

そもそもハラスメントとはどんなもの?

他にはどんな種類があるの?と思って検索をしたら以下のサイトに詳しくありました。

 

http://www.osaka-med.ac.jp/deps/jinji/harassment/definition.html

なぜかリンクをはると大阪医科大学付属病院看護部のトップページに飛んでしまうので、以下引用をさせていただきたいと思います。

ハラスメント(Harassment)とはいろいろな場面での『嫌がらせ、いじめ』を言います。その種類は様々ですが、他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えることを指します。

 

こちらの意図には関係なく、相手に嫌な思いをさせればそれはハラスメントということです。

サイトでは、

の例が記載されていました。

高校以前の学校でのいじめはスクールハラスメントと言ったりするのかな?

 

今日は、ハラスメントをする側の意識について考えてみたいと思います。

 

 力の強いものから力の弱いものへ行われる

 ハラスメントは、おしなべて「力の強いものから弱いものへ」という方向で行われます。

力は、腕力であったり権力であったりします。

 

力の強いものが、意識的に行う場合もあれば

力の強いものが、その力に無頓着であるがゆえに起こる場合もあります。

 

たとえば男性上司が女性部下にセクハラととられる言動をしている場合に

「奥さんや娘さんが同じことをされたらどう思うのですか」

と問われてもピンとこない顔をしているのに、

「同じことを上司の奥様や娘さんにできるのですか」

と問われると青ざめる、という話があります。

 

自分よりも力の弱いもの=この場合は女性部下、自分の奥さんや娘さんには平気なのに

自分よりも力の強いもの=この場合は上司(の、奥様や娘さん)にはできない、

というのは典型的な例です。

 

話の例として男性→女性へのセクハラを出しましたが

もちろんこのパターンだけではありません。

男性→男性、女性→男性、女性→女性へのセクハラも存在します。

問題なのは性別ではありません。

力関係によって発生しているということが大事なのです。

 

 

なぜ加害者側が被害者意識を持つのか

力関係によって、ハラスメントが行われているのに

なぜか加害者側が被害者意識を持つことがあります。

 

これは、「いじめる側が100%悪い」という記事でも書きましたが

ponnkichi.hatenablog.com

「相手の悪いところ」があったせいで

自分がこんな言動をしなくてはならなかったんだ、と感じることが原因です。

「相手が自分の言うことを聞かないから、こうせざるを得なかったんだ」

「相手が極端に仕事ができないから、こう言わざるを得なかったんだ」

など。

とにかく、相手に非があり相手に責任があるんだ、

相手のせいにするのが特徴です。

 

しかし、相手に欠点があることと、

自分が「相手の嫌がることをする」という行動を選択することとの間には

全く関係がありません。

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「相手の嫌がる行動をする」

以外の選択肢があったはずなのに、それを選ばなかった側の責任なのです。

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相手の嫌がることをする前に、

他の選択肢はないか考えることが必要です。

ponnkichi.hatenablog.com

 

 

 

被害者側が攻撃されがちな理由

 上司から暴言を吐かれた、

性的な関係を持つことを強要された、

人格を否定するようなことを言われた…

いろいろなハラスメントを受けたことを告白すると、

なぜか告白・告発した側が攻撃されることがあります。

 

「被害者側にも落ち度があった」

「自衛手段を持っていなかったほうが悪い」

「そんなに嫌な職場なら、さっさと辞めればよかったのに」

「そんなひどいやつと別れないで付き合っている方が悪い」

 

不思議なことに、加害者側が被害意識をもち、

被害者のほうが糾弾されるのです。

 

私は昔から不思議でした。

どうしてそのようなことになるのか、

なぜ被害者がさらに追い討ちをかけるようなことを言われなければならないのかを

考えてみることにしました。

 

 

力関係により、力の強いものを叩きにくいから

ハラスメントは、力の強いものから弱いものへと向かいます。

部下を追い詰める言動を続けるような上司がいたとしても

「でも、あの人は仕事ができるから」

「あの人も言い過ぎた(やりすぎた)かもしれないけれど、言われる(される)側にも原因があるから」

と、周囲はどうしてもその場の重要人物をかばうようになってしまう。

それは、力の強いものは攻撃しにくい(ハラスメントの構造と同じ)ということ、

実際に加害側がいなくなると困る点があるということで

握りつぶされるという結果になるのではないでしょうか。

かすかな加害感情=不快な感情と向き合いたくないから

また、どんな人でも他人にいらだちを覚えたことがあると思います。

「どうして頼んだことをしてくれないんだろう?」

「どうして、あんなに細かく説明したのにわかってくれないんだろう?」

 

 

多くの人は、感情的に怒鳴ったりしないように心がけているものなのですが

実際に行動に移している人を見ると、

「あそこまで言わなくてもいいのに」と思いつつ

「怒る気持ちがわかる」という感情もまた同時になることもあるのではないでしょうか。

 

他人は自分の思い通りに動く存在ではありません。

他人と自分とは同じ人間ではありません。

認知の方法も違うかもしれない。

わかりあえないことも当然たくさんあります。

 

頭ではわかっていても、胸のうちに静かに降り積もってきた怒りは

自分の思いを汲み取ってくれない弱い立場の人に向かうのです。

 

暴言を吐かれている人に、さらに

「あなたにも原因がある」と言ってしまう理由は

自分の中にある、不快な感情と向き合いたくないからかもしれません。

「自分のほうがひどいめにあった」という意識を持ってしまうから

自分にも、なんらかのハラスメントを受けた経験があれば

他の人の経験を見聞きしても

「そのくらい大したことないじゃない」

「そんなのも我慢できないの?」

と、被害者に対していらだちを覚えることがあります。

本来は加害者側に向いていたはずの怒りが

自分よりも「我慢が足りない」ように見える側に向かってしまうのです。

 

認知的不協和を起こすから

子供の頃から、勧善懲悪的なお話に親しむことがよくありました。

子供向けにアレンジされたやさしい昔話、

「桃太郎」「さるかに合戦」「花咲か爺さん」などから

「悪いことをしたものはひどい目にあう」

というメッセージを受け取ってきました。

 

悪いことをしたものはひどい目にあい、

いいことをしたものはいいことが起こる。

無意識にそのように思い込んでいるため、

目の前でひどいめにあっている人を見たら脳が混乱するのです。

 

「この人は悪いことをしていないのにひどい目にあっている」ということを

脳が受け入れることを拒否します。

認知に不協和が起こるのです。

そして、

「この人は悪いことをしたからひどい目にあっている」

と、脳が納得するような答えを導き出してしまうのです。

そのため、被害者のほうをさらに攻撃してしまうのです。

 

はあちゅうさんの告白で思うこと

buzz feedの記事を読み、それに対する反応を見て

ますますこのように思うようになりました。

www.buzzfeed.com

 

記事の最後のほうに、

はあちゅうさんのコメントが載っています。

「私の場合、自分が受けていた被害を我慢し、1人で克服しようとすることで、セクハラやパワハラ被害のニュースを見ても『あれくらいで告発していいんだ…私はもっと我慢したのに…私のほうがひどいことをされていたのに…』と、本来手をとってそういうものに立ち向かっていかなければならない被害者仲間を疎ましく思ってしまうほどに心が歪んでしまっていました」

「けれど、立ち向かわなければいけない先は、加害者であり、また、その先にあるそういうものを許容している社会です。私は自分の経験を話すことで、他の人の被害を受け入れ、みんなで、こういった理不尽と戦いたいと思っています」

 

 ツイッターでは、「告発することはネットリンチなのではないか」という意見も見られましたが、

ここではあちゅうさんが告発をすることは、密室で行われるリンチとは全く違います。

告発をした側にも大きなダメージがいくのです。

さらに、前述したように被害者に攻撃が向きやすい土壌もある。

このようなことを告発することはものすごい勇気のいることですし、

さらにダメージを負わされることも事前に想定していたことでしょう。

本当にすごい勇気だと思います。

lineblog.me

 

また、「被害者なら被害者らしくしていろ」という論調にも反対です。

この記事の最後のほうの記述感銘を受けました。

私は自分に起きたことを語りましたが、
人生を奪われたわけではありません。

逆に言うと、被害者として振舞うことを
世の中に強要されるのなら、
人生を奪われたと感じるかもしれません。

普段通り元気に活動している姿を見せることが
私の今後の役割だと思っています。

「加害者なら、被害者になってもいい」は間違い

「あの人はひどいことをしたのだから、被害にあってもいい(しかたない)」

という論調もあります。

それは明らかにおかしい。

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「相手が悪いから攻撃してもいい」

という論調と同じくらいおかしいです。

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たとえその人が「ひどいことをした人」だとしても

全く別の場面で攻撃されていいということにはなりません。

 

あくまでも別の話、別の問題なのです。

自分がしてしまったことをなんでも「相手のせい」にしてしまう

幼稚な行動と全く同じです。

 

 

というわけで、

結論としては

ハラスメントをする人は

力関係を利用し、被害者ぶっていることすらある。

周囲の人も被害者を攻撃するほうが心理的に楽

です。

 

こうならないようにするためには、

とにかく相手の行動と、それに対する自分の行動を切り分けて考えることが大事なのです。