#metoo 〜ハラスメント、どうやって解決する?
こんにちは。いつも初めて、ぽんきちさんです。
今回は、ハラスメントはどうやって解決していったらいい?ということを
考えてみたいと思います。
ネットいじめのイラスト(女性) | かわいいフリー素材集 いらすとや
先日、「ハラスメントをする側の意識」について考えてみました。
この記事では、
ハラスメントは力の強いものから弱いものへ向かうということ、
そして他の人も、弱いもののほうに攻撃を向けがちだということを書きました。
これを踏まえて、どのようにしてハラスメントをなくしていけるのかを考えてみたいと思います。
共感を広げるには
前回の記事でご紹介させていただいた、Buzzfeedさんの記事の
続きがありました。
前回の記事でご紹介したbussfeedさんの記事にはパワハラ、セクハラの内容が記されていたのに対し、
今回の記事は、#metooのタグ、セクハラについての記述がほとんどです。
ただし私は、どのようなハラスメントにあっても根は同じだと思っています。
ハラスメントをなくしていくのには、
共感を広げることがもっとも大事です。
ただ、「共感を広げる」というのは非常に難しいことです。
一人で被害を受けたと声をあげようとしたとしても、
それ以上のダメージが自分に降り注ぐからです。
「わたしはこのような被害にあった」と声をあげるとどうなるでしょうか。
問題を解決したうえで、今までと同じ職に就き続けることができるでしょうか?
組織の中での人間関係を崩したとして恨まれたり失職したりしないでしょうか?
警察は動けるでしょうか?
法に裁いてもらおうにも、自分一人で十分な証拠を集められるでしょうか?
被害者を支援するような制度はある?
マスコミなどのメディアは、被害者を応援するような空気を出しているでしょうか?
予想される答えはどうひいき目に見ても「NO」で、だからこそ声をあげてこられなかったのです。
残念ながら、被害を受けた人はたった一人では戦えません。失うものが大きすぎるのです。
だから、一人ではなく「私も」と声をあげやすくなる#metooはすばらしいものだと私は思います。
強いものと弱いものの立場を入れ替えるだけでは絶対にだめ
ハラスメントは、いつも力の強いものから弱いものに向かって行われます。
そして、弱いものには攻撃が向かいやすいのです。
理由は、
- 強いものは叩きにくい
- 自分の攻撃的な感情に向き合いたくない
- 「自分のほうがひどいめにあった」という意識を持ってしまう
- 認知的不協和を起こすから
など、いろいろあります。
(詳しくは前回の記事に書きました)
#metooなどのように被害者が一致団結して声を上げているように見えるものを見ると、
批判が起こるのは
「被害者が世論を味方にして、今まで強者側だった加害者側よりも
強くなろうとしている」と見えるからだと私は思います。
今までと逆のパワーバランスになることへの
恐怖や抵抗が、批判につながるのではないかと思うのです。
「弱さを利用して、社会を味方につけて強者になろうとしている」ように見えるわけです。
こうなると、
まるで新たなハラスメントが行われるように見えるのです。
被害を受けた側が、実名で加害者を告発すると批判を受けるのは、このような理由があるのではないかと思います。
もしも仮に、被害者側が社会を味方につけて強者になり、加害者を攻撃したとしたら…。
これは、永遠に終わらない戦いになってしまいます。
また、被害を受けた側が社会を味方につけて強者になるからです。
永遠に繰り返される憎しみの連鎖。
強者と弱者の立場を入れ替えることでは、
ハラスメントは絶対に解決しないのです。
被害を受けた側が告発をしたとき、強者になろうとしていると思うのではなく
(この図のようではなく)
弱者と同じ、フラットな目線で話を受け止めることが大切なのです。
フラットな目線で話を受け止めることが、まず大事なのです。
そのことが、共感を広げていくための第一歩なのです。
フラットに考えよう
被害を訴えるだけでは、社会は変わりません。
受け止める側が、フラットに受け止めなければいつまでも同じことが繰り返されるのです。
今まで無数に繰り返されてきたことと同じように、
被害者を責め、被害者の居場所を奪い
「声をあげたらもっと大変なことになる」
「ひどいことをされたけれど、黙っていなくては」
とますます多くの人が生きていきにくい社会を作ってしまうだけです。
まずはつらい思いをしたひとの思いをそのまま受け止めましょう。
誰かを責めるのではなく、つらい思いをした人にそのまま共感する。
その共感の輪が広がっていったときに、
解決方法が見えてくるのではないでしょうか。
被害者に被害者らしさを求めるのはもうやめよう
「被害者なんだったら被害者らしくしていろ」という雰囲気も
ハラスメントの解決を難しくしている原因のひとつです。
「わたしはこのようなひどいことをされました。
同じような思いをする人が減っていってほしいと思います。
そして、私はこれまでと同じ仕事を元気にがんばっていきたいと思います」
という姿勢が一番大切なのではないでしょうか?
被害者なんだから落ち込んで家から出てくるな、というのは暴論だし
その意識こそが自分自身の首を絞めていくことにも早く気づかなくてはなりません。
「被害者なんだから、おとなしくしていろ」
「この力関係のままいくのがいいんだ」
「〇〇もできないくせに」
「チャンスがほしいんだろ?」
という押し付けもなく、
「お前の告発はネットリンチだ」
「パワハラ、セクハラをした側が仕事をやめなくてはならないのはおかしい」
「お前もひどいことを言ったことがあるくせに」
と、相手が力をつけることを恐れることもなく、
フラットに物事を、私は受け止めていきたい。
人権をふみにじられ、
恐怖にふるえながらも#metooをしてくれた方々のためにも
共感の輪を広げていきたいと思うのです。