「今までと変化する」ことへの恐れと向き合う
こんにちは。大晦日だよぽんきちさんです!
この間ラジオで、こんなお話を耳にしました。
「除夜の鐘がうるさいという苦情がある」。
ラジオでは、「除夜の鐘がうるさいという苦情があった」というお話がされていました。
- 除夜の鐘がうるさいという苦情とお寺側の対策
- 伝統を否定するのでも、無条件に飲めというのでもない選択
- ハラスメントにも共通するものがあるよね
- 変わることは怖いことだけれど、一歩踏み出すと新しい世界が見える
除夜の鐘がうるさいという苦情とお寺側の対策
「除夜の鐘がうるさい」という苦情がきた…というのは
40年近く日本に暮らしてきたものにはちょっと驚くものがありますが
よく考えたら、困っている人もいたのではないかと思います。
今まで表に出てこなかっただけで。
痛風で痛いとか、
どこかが痛くて苦しいとか
病気の赤ちゃんがいてどうしても寝かせたいとか…。
それに対応するお寺側の対策はいろいろなものがあったそうです。
- 気にしないで今まで通り行う。
- 今までよりも回数を減らす。
- 除夕(じょせき)の鐘として、正午から鐘つきを行う
除夕(じょせき)の鐘!
新しい!
めっちゃカッコいい!
この方式を取り入れたお寺は、
夜に開催するときよりもお子さんや高齢者の参加が増えたということなのでした。
確かに、雪国の大晦日の深夜はシャレにならないほど寒いですからね。
なんでも工夫できるものだなあと非常に感心しました。
伝統を否定するのでも、無条件に飲めというのでもない選択
除夕(じょせき)の鐘がカッコいいなと思ったのは、
伝統を否定するのでも、伝統だから無条件に継承しなくてはと思うわけでもないところです。
「迷惑だと思う人がいるからやめよう」というのでもなく、
「伝統なんだから続けなくては」というのでもない。
どちらかというと、「伝統なんだから続けなくては」という声の方が大きいんじゃないかな、とわたしは思うのです。
「今まではこうしてきたのに、嫌だという人がいるからといってやめるのはどうかと思う」
「そういう人がいるのは寂しいことだよね」
と、伝統を擁護する声の方が大きいんじゃないかな、と予想します。
除夕(じょせき)の鐘は、それを軽々飛び越える解決方法ですね。
ハラスメントにも共通するものがあるよね
「今まではこうだったんだから、文句言わずに今までの通りにしろ」
という人は必ずいるよな、と考えながら
これはいろんなことに共通するなあと思いました。
ハラスメントにも共通するものがありますよね。
セクハラに限定、しかも身体に触れることに限定した例えを出します。
「今まではちょっと触るくらいだったら文句を言われなかったのに、
最近はちょっと胸やお尻を触ったくらいで騒がれるなんて
寂しいよね」
とおじさんが言ったらどうでしょうか。
…そう言う人、いそうだなあと思うのですが
「ちょっと触ること」が今まで自分の権利だと思ってきたわけですよね。
それが認められなくなって寂しい、と主張しているのです。
「今まで認められてきたんだから、これからも認めろ」
と主張することの傲慢さがほんのり伝わればいいなあ、とこの例を出しました。
除夜の鐘と、性犯罪とを一緒にするなと叱られそうですが
「嫌だと思う人がいたら対応を変えてみる」という点では
似ているんじゃないかな?
変わることは怖いことだけれど、一歩踏み出すと新しい世界が見える
伝統はもちろんとても大事だと思います。
文化を守ることも大事だと思う。
だけれどそれ以上に、そこに暮らす人の権利を守ることも大事なのです。
今までよいと思っていた世界が変わることは怖いことだけれど
一歩踏み出すと新しい世界が見えるんじゃないかなあと思って書きました。
身体が弱い子どもでも、除夕(じょせき)の鐘がつけるなんて嬉しいですね(*^^*)