生涯、学習していきたい

いろいろなことを考えるのが好きです。

本人だけが言っていいセリフを他人が言うものじゃない

平昌オリンピックの報道を見ながら思ったこと。

「それ、言って(書いて)いいのは本人だけだよね?」

 

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http://free-photos.gatag.net/2014/08/18/050000.html

 

 

 

この記事でも、同じようなことを主張しました。

ponnkichi.hatenablog.com

 

この記事のときには、

「お客様は神様」とか「歩行者優先」「お母さんだから〇〇しなきゃ」などのたとえで話したのですが、

本人だけが言っていいことってあるよね、

他の人は言うものじゃないよね、などということを書いたのでした。

 

オリンピックの報道にも、昔から同じことを思っていたことを思い出しました。

「惜しくも銀」「惜しくも銅」などと言っていいのは本人だけ

 最もこのように思ったのはトリノオリンピックのときでした。
オリンピックに出るということは本当にすばらしいことなのに

メダルや入賞に届かなかった時に

「残念ながら」と報道されるのはなぜなのでしょう。

 

百歩譲って、世界選手権などの大会に毎回密着しているような記者が

日頃の成績を鑑みてそのように報道するのは理解できるとしても

そうではない人がオリンピックの結果だけを見て

「残念ながら」などと報道するのは納得がいきません。

 

日頃の自分の成績とオリンピックでの結果を考えて本人が言うのは

すばらしいことだと思います。

また、日頃関わってきた方々やコーチなどが言うのも納得できます。

 

でもそうでない人が言うのはおかしいと思います。

 

ましてやファッション、髪型、メイクなど

他人がどうこう言っていい問題では決してないです。

 

テレビの前で言うのと世界に発信するのは違う

同じことが一般の方々にも言えます。

テレビの前で家族や友人知人とあーだこーだ言うのは全く構わないと思うのですが

どうしてそれを世界に発信してしまうのか。

SNSで発信することは、お茶の間でのつぶやきとは全く違うものなのに。

 

やったことのないことは簡単に思える

完全に自分にもそのようなところがあるのですが、

人は自分が経験したことのないものは

なぜか簡単に見えるもののようです。

スケートにしろスノーボードにしろスキーにしろ。

 

「やったことがない」もしくは「少しだけ経験がある」ことは

表面に見えるものだけを追えるからです。

 

少なくとも、選手として競技に打ち込んだ経験のある人は

自分には絶対にできないことをしている人のことを

悪し様に言うことはできないのです。

 

簡単に飛んでいるように見えたとしても、

その裏には一般人の想像が及ばないほどの努力の時間があったのです。

その時間を無視して、表面的な結果だけを見て

「残念だ」などと言う権利は誰にもないのです。

 

スポーツだけではありません。

研究やビジネス、政治の分野なども

やったことのないことは、とにかく実際のそれよりも

簡単に見えてしまう傾向があることは

常に忘れてはいけないなと思います。

 

たとえ努力の質や量が想像も及ばないほどのものだったとしても、

「自分だったらどうするか」

という視点を常に持っていたいなと思います。

 

常に尊敬の念を持っていたい

選手の方々、選手を支えてきた方々には本当に頭が下がります。

スポーツとは全く縁のなかった私も、こうやって4年に1度とても楽しませていただいています。

たくさんの勇気をいただいて、毎日をがんばろう!という気力までいただいています。

 

だからこそ

自分にできないことをしている方々には常に尊敬の念を持っていたい。

私はそのように思っています。