年上だから優れているわけではない
「年齢が上だからといって、優れているわけではない」
そんな当たり前のことを忘れそうになることがあります。
by:Pink Sherbet
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」
最初にこれを思ったのは、14歳のときでした。
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」
1992年のバルセロナオリンピックで、競泳女子200m平泳ぎで金メダルをとった
岩崎恭子さんの言葉です。
当時中学生だった私は、同年齢の女の子が金メダルをとったことに感動し、
自分には想像もつかない努力をしている同世代がいることに初めて気づいたのでした。
たくさん練習をして、たくさんの競技会に出て…どんな生活をしているんだろう、と想像するだけでふるえます。
しかし周囲の大人は、14歳の女の子の「今まで生きてきた中で」というセリフがおもしろかったらしく、(同時にほほえましくもあったのでしょう)
よく笑っていたのです。
なぜ笑うのかすごく不思議で、同時に不快だったことをよく覚えています。
この中の大人の中に一人でも、14歳の岩崎さんと同程度の努力の総量を持っている人がいるだろうか?
2倍以上も生きていて、うっすい人生しか送っていない人が大半なんじゃないかと思ったのです。
自分も大人になり、
大人には「一つのことにうちこむ」ことと同じように
「たくさんの役割をこなしながら、人のためになるよう働く」ということが
大事なのだと理解するようになりましたが
それでも疑問に思います。
「笑っていいことなの?」
オリンピックの選手や棋士に対して
私の年齢になると、まあ、伝説と言われる方々を除いては
たいていのスポーツ選手の方は年下です。
なので、選手のことを「〇〇くん」「〇〇ちゃん」という呼び方をしたり
あれこれ批評している方が多くなってきます。
でも改めて問いたい。
「自分のほうが長く生きているけれど、
今見ている選手の方々と同等、もしくはそれ以上の努力をしているのか?」
どこをどうひっくり返して考えても人生の密度は選手の皆様のほうが圧倒的に上。
呼び方だけではありません。
プロのアスリートに対して、ハーフタイム中の「もぐもぐタイム」(旭山動物園かよ!)や方言の過剰な取り上げ方もそうで
なぜ、スポーツ以外のことでキャッチーにする必要があるのか全くわかりません。
どこか「自分より下の者」だと思っていないか?
どう転んでも自分には及びもつかないような密度の人生を歩んでいる方に
「年下の者」として接したり報道したりするのはどうしても納得がいかないのです。
たいてい、若い人のほうがすごい
年齢を重ねると、どうしても自分の人生はすごいものであったと思いたくなるものです。
それを否定することはありませんし、
そのように思うことがその人の人生の価値を輝かせるとも思います。
ただ、残念なことに、たいていは若い方のほうがすごいんですよね。
新しいことを切り開く能力、
新しい環境にすばやく順応する能力は
どうしたって若い方のほうが高いのです。
いつまでも過去の栄光にしがみついているのは、たいてい年配の方です。
そのような人が寄り集まった結果、進歩できない集団が出来上がるのです。
われわれ中高年は、せめて若い人の足を引っ張らないこと。
異を唱えたいのであれば対案を出すこと。
自分も努力をして、社会に貢献すること。
そのようなことを忘れないで生きていきたいと思います。