生涯、学習していきたい

いろいろなことを考えるのが好きです。

子供産業に関わる人が自分の子供を産み育てられない

先日、ツイッター

ちょっと衝撃的なお話を見つけました。

「保育士の妻が妊娠したので、夫婦で職場に謝罪しに行った話」

 

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http://free-photos.gatag.net/2014/03/03/010000.html

                                                                                                             by Esther Cantero

 

 

 

 

 

 ああ…。

これ、子ども関係の産業に従事していたら、あるあるなのではないでしょうか。

本当に悲しいことです。

激務、薄給、子供を産み育てられない保育士さん

保育士さんのお仕事は本当に大変です。

小さな子供がたくさんいる中、瞬時に判断しなくてはならないことが次から次へとやってきます。

シフト制ですが、時間外労働も多く、さらには行事の準備などは持ち帰って仕事をすることもあります。

施設のハード面のメンテナンスも保育士さんの仕事だったり

虐待などの難しい案件にも対応しなくてはなりません。

そのうえ薄給。

慢性的な人手不足でもあります。

 

保育士さんは、子供が好きでなくては勤まりませんが

子供が好きなだけではとても続けられる仕事ではありません。

 

その上、職場で「妊娠するのは先輩から順番に」と定められているなんて?!

教職員の世界にも似たようなことがあります 

教職員の世界にも似たようなことがあります。

知人の話では、小学校の高学年を担任している時に妊娠が発覚したときに

「これだから女性の先生は」と文句を言われた、と。

また、中学校や高校では2〜3年生の担任をしているときに妊娠すると

保護者から抗議が来ることもあるということなのです。

 

もしかしたら、その先生は長年子供が授からなくて

やっとのことで授かったかもしれないのに。

 

子供の受験に、もちろん担任の先生は大きくかかわるものですが

担任の先生の人生に変化があることと

子供の受験とは本来関係のないものです。

 

「仕事か、出産か」

そのどちらかしか選べないような仕事の仕方は、本当にいいのでしょうか。

その様子を見ている生徒たちに、いいロールモデルになっていると言えるでしょうか?

そのようなことで、将来子供を産み育てることに希望が持てるでしょうか?

 

「仕事か、出産か」

どのどちらかしか選択できないというのは

社会の怠慢であるとしか言いようがありません。

 

生命を授かるということはコントロールできない

そもそも、命を授かるということはコントロールできるものではありません。

「妊娠しないようにする」ことはできたとしても

「狙った時に妊娠をする」ということは多くの人に容易なことではありません。

 

タイミングをコントロールすることはできない、

そのことこそが生命の姿そのものなのだと思います。

 

そもそも、人が育つ時にはコントロールできないことだらけです。

赤ちゃんはいつ泣くかわかりません。

生後間もない赤ちゃんだって、

お腹が満たされ、おむつも清潔で十分に寝ていても

泣きたい時には泣くものなのです。

それをコントロールしようと思うこと自体がおこがましいこと。

大人の都合に関係なく泣きたい時に泣く、それがありのままの生命の姿なのです。

 

このような命ですから、授かるときに

意志の力だけでコントロールできるなどと考えること自体がおかしいのです。

 

善意に頼ると質が下がることは忘れてはならない

以前、「教職員が不足しているらしいですね」という記事でも書きましたが

ponnkichi.hatenablog.com

 

保育士さんや教職員の労働は

「子供のために」という大義名分のもと

多くの部分を働く人の善意に頼っているところがあります。

 

善意やボランティアに頼っていると、

長期的に見るとどうしても質が下がってきてしまいます。

 

個人の生活を犠牲にして成り立ち続ける産業はありません。

「お子さんたちのために」

「なりたくてこの職業についたんでしょ?」

と、相手に善意を持ち続けることを強要し、

保育士さんや教職員は個人の生活を犠牲にしてあたりまえ、ということになったらどうなるでしょうか。

 

誰がどう考えても、

その産業は衰退していくことでしょう。

 

子供に関わる産業が衰退したら?

子供は減る一方ですよね。

すると、国家の存亡に関わってくるのです。

その進行は、予想以上の速さで進んでいるのに

相変わらず「子供産業の人は個人の生活を犠牲にすべき」などと言っている場合ではありません。

 

事業者のせいにするのではなく、デザインを変えたい

これを、職場環境や事業者のせいにしていても仕方ありません。

「先生たちの生活の質を確保してこそ

いい保育、教育ができる」

「先生たちが望む時に子供を持てるように」

そのようにすることが、

職場や事業者にとってもプラスになるように

デザインを変えていくことが大事なのだと思います。