生涯、学習していきたい

いろいろなことを考えるのが好きです。

「男の子だから、好き嫌いがあっても大丈夫だよね」

わたしのところには女の子と男の子がいます。

男の子は、小さい頃食べ物の好き嫌いがけっこうありました。

 

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http://gahag.net/004511-japanese-breakfast/



 

 

そんな彼も、幼児期のうちに

苦手だったなすやピーマン、きのこ類を克服して

立派に生活をしています。

 

好き嫌いがあった当時、このようなことを言われたことを思い出しました。

「男の子だから、好き嫌いがあっても大丈夫だよね」

 

意味

その真意は、

「女の子は将来食事を作るようになるから、好き嫌いがあると困る。

男の子は、将来食事を作るようにならないから、好き嫌いがあっても別に困らない」

ということだったのだと思います。

 

当時は意味がわからなくてしばらく考え込み、

「わからない」ことに気づいてからは

ニコニコしながら話を聞くことに徹しました。

 

私は話がわからないときに、よく存在感を消してこの方法をとる癖がありますがいい加減なんとかしたいものである。

親しくない間柄のグループにいて、プロレスの話などになったときには完全に透明人間になれる。

 

食事のしたくはみんなができた方がいい

その、

「女の子は将来食事を作る。男の子は将来食事を作らない。」という考え方は、

完全に以前ご紹介したダメ男製造機なんじゃないかと思うものです。 

ponnkichi.hatenablog.com

 

食事に対して自分で責任をとれないというのは

生き物としてかなりまずいことなのではないか?

 

共に暮らす人の食事を用意することは

性別や年齢に関係なく、

ある程度はできたほうがいい。

5歳児だって、ご飯をよそったり

冷蔵庫からきゅうり、

棚からパンを出したりすることくらいはできます。

 

食事のしたくに性別は全く関係がない。

 

体を動かせないとか、棚に届かないとか

身体の動きに制限がある場合は関係があるけれど。

 

好き嫌いは少ないほうがいいけれど、あったっていい

また、アレルギーではなく

単なる好き嫌いで

相手が用意してくれたものを辞退する事態は

少なければ少ないほどいい。

 

好き嫌いが少ないほうが、生きていきやすいと思います。

 

ただね。

絶対に好き嫌いはなし!というのも嫌なんですよね。

 

私自身には食物アレルギーもなく、苦手な食べ物もほぼないのですが

好き嫌いがあるから人への評価を変えるということはありません。

 

そもそも、初見のものが苦手な人がいてもいいし

どうしてもゴーヤが食べられない人がいたっていいじゃないですか。

 

好き嫌いがないほうが得だとは思いますが

あったってマイナスにはならないんじゃない?

 

とはいえ、相手によって意見を変えます

ただ、私は

このような性別役割分業に関する話題については

相手によって意見を変えます。

 

60代以上の方(自分の親世代以上の方)が話したときには

ニコニコ笑って話を聞くでしょう。

 

しかし、40代以下と思われる方が同じことを言ったら

真顔になって相手の顔を見つめるかもしれません。

 

小さなお子さんがこのようなことを言ったときには

「男の子も女の子も、お料理ができたらかっこいいと思うなー♪」

とかなんとかさりげなく誘導することでしょう。

 

時代が変わるのは素敵なことね

これは、60代くらいになるとこのような意見になる、ということではなくて

きっと幼い頃から刷り込まれてくるものの内容が

時代によって変わってきているということなのだと思います。

 

時代が変わるのは素敵なことですね。

自分はどんどんベルトコンベアで上の世代に流れていっていますが

若い方々のお話を聞いて

どんどん学んでいきたいなあと思います。