他人が見ている世界と、自分が見ている世界は広さが違うのかもしれない。
時間のあるときにツイッターなどを見ていると、
たくさんの人に見られているツイートには
いろいろなコメントがついています。
そのコメントを見ているといつも不思議な気持ちになります。
「この人はなぜわざわざこんなコメントを??」
今回は、
人によって視野が全然違うのかもしれないと思ったお話です。
目線の高さで見える範囲が変わる
この気持ち悪い図をごらんください。
その人の目線がどこにあるかで、
見えている範囲が全然違うんじゃないかと思って
図にしてみました。
目線が低いところで生きている人にとっては、薄い赤の部分の世界しか見えません。
しかし、努力を重ねて実力を積み上げ、人徳を深めていったならば
その人の目線は上がっていきます。
目線=人としてのレベル、と考えてもいいです。
人としてのレベルが上がると、視野が大きく広がります。
人としてのレベルが上がると、より遠くまで見えるようになるというわけです。
著名な人に対する考え方
プロのスポーツ選手やオリンピックに出場するような選手、
一流のアーティスト、また政治家や経営者などの出した結果について
いろいろ言いたくなることがあることでしょう。
「〇〇さんはねー、最近打率が」
「あのメロディーのどこがいいのかわからない」
しかし、自分のできないことや経験したことのないことは
えてして実際より簡単そうに見えるものです。
そんな風にドヤ顔でお茶の間で意見をしている人の
そのものへの造詣が薄赤レベルとすると
そのアスリートさんの見えている世界は
悪口を言っている人の想像も及ばないほど
広く、深いのかもしれないのです。
オリンピックやテニス、将棋などを見ているときには強くこれを感じますね。
自分など赤丸のくせに……と恥ずかしい気持ちになります。
もはや何も言うまい…肯定的なことしか言うまい…
同じ物事にも様々な意見があります
ツイッターにつく、いわゆる「クソリプ」というものも、この視野の違いが大きく影響しているように思います。
身近な例で考えてみましょう。
例1:ちょっとした愚痴に対する反応
「最近子供が夜泣きをして寝不足。辛いよー」
というツイートがあったとします。
これに対する、一番視野の狭いコメントはこんな感じ。
一番レベルが低いコメント
- そんな感じのくせに何で産んだの
- 自分で産んだんだから自己責任だよね?
- こんなやつが結婚して子供を産むとか…
- 自分などはお付き合いする相手もいない
このようなリプライは、
極めて狭い自分の視野の中でしか物事をみていないために起こります。
もう1段階レベルが上がったコメント
次は、もう1段階視野が広いコメント。
これでいうと、紫くらいでしょうか?
もう1段階視野が広いコメントは、
大変そうな人を見て元気を出してもらいたいという気持ちがあるのものの
自分の体験を語りっぱなしだったり、マイナス方向のアドバイスをしたりします。
- わかる、自分もそうだった!そんなと辛いときに姑が…(と語り出す)
- 夜泣きで辛いのに、旦那は全然起きなくて腹たつよね(自分の体験)
- 辛いのはわかりますが、可愛い時期は一瞬ですよ(余計なお世話)
元気を出してもらいたい気持ちは、いつしか自分の元気を守る方向へ。
「つらい」と告白した人に自分の苦労話を聞かせるようなものです。
正直に言いますが、全く役に立っていません。
さらに1段階レベルが上がったコメント
さらに視野が広まり、先ほどの図の水色や緑の世界が見えるようになってくると、
元気を出してもらおうと共感したり、プラス方向のアドバイスをしたりします。
- 本当にお辛いですね。睡眠時間はすべての元気の源ですものね。
- 眠れないと身体だけでなくて精神的にも辛くなりますよね…。
- とても大変な時期ですね。○ヶ月くらいの赤ちゃんには、〇〇が効果ありと聞いたことがあります。
ちょっと心が軽くなったり、話を聞いてみようかな?試してみようかな?という気持ちにさせてくれるコメントです。
さらにレベルが上がったコメント
…は、ごめんなさい。
私にはわかりません。
「じゃあ書くなよ」
すみません。
しかし、人間としてうんとレベルの高い方はきっともっと深いコメントができたりするのでしょうね。(想像)
例2:ちょっとした嬉しいことに対するコメント
反対に、ちょっとした嬉しいことに対するコメントもなかなかのものです。
たとえば、「パンおいしいなー」というツイートに対して。
器が極小サイズだと、
- パンが食べられない人もいるんですよ!配慮してください!(それとこれとは話が別)
- 私はパンよりもおにぎりが好きです(聞いていないしどうでもいい)
でも、ちょっとだけ人間のレベルが上がり視野が広がると
- おいしそう!
- パンおいしいですよね!
言わなくてもいいことは言わなくなるのです。
繰り返します。
視野が広がると、
「言わなくてもいいことは言わなくなる」のです。
この図だと、世界の中心が決まっていて、
世界というものが同心円状に広がっていくように見えますが
もちろんそうではありません。
この図がいくつも世の中には存在するのです。
いくつも重なり合っているかもしれません。
自分が、一番低い目線でしか物事を見ていなかったら
目線が高い人が言うことを理解できないのです。
まあ、これ私のことなんですけどね。
結論。他人の見えている世界と、自分の見ている世界はたぶん違う。
どんなにいいことを聞いても
どんなにいい本を読んでも
目線が低過ぎたら理解できないのです。
なので、自分の世界のサイズに合うように曲解するしかなくなってしまう。
そして、自分の世界のサイズに合わせてゆがんだ解釈をすることで誤解をして
不必要に他者を攻撃するようになってしまうのです。
視野が狭いから、言わなくていいことを言ってしまうのです。
目線が低く理解が浅く、視野の狭いものとして
気をつけていかないとなあと思うのでありました。