それは男性vs女性という話ではないよね
「これは男性vs女性の問題だ」
そんな風に語られる問題が世の中には多々存在しますが
実はそんな対立軸の話じゃないよなあと思うものがありますよね。
例1:痴漢犯罪について
性犯罪関係については、男性と女性の間の問題として語られることが多いように思います。
大抵は
- 加害者は男性
- 被害者は女性
という文脈で語られるのですが、実際はそのように分かれるわけではありません。
実際は、
- 痴漢をする人
- 痴漢をしない人
という二つに分けることができます。
男性(痴漢をする人) | 女性(痴漢の被害に遭う人) |
ではなく、もちろん
男性(痴漢の冤罪の被害に遭う人) |
女性(痴漢の冤罪を仕立て上げる人) |
でもありません、実際は「痴漢をする人」「痴漢をしない人」に分かれるにすぎません。
痴漢をする人
|
痴漢をしない人
|
痴漢をする人(加害者)と痴漢をしない人(被害者、知らない人どちらもいる)に分かれるだけです。
ここには性別は関係ありません。
男性も被害に遭いますし、女性も加害者になることもあります。
性別で区切ることは、痴漢という犯罪の本質を見えにくくします。
例2:セクハラについて
セクハラも同じことがいえます。
「男性から女性に向かって行われるもの」ではありません。
男性(セクハラをする人) | 女性(セクハラの被害に遭う人) |
この考え方は成り立ちません。
ハラスメントの多くは、力が相対的に強いものから弱いものへと行われるものです。
なので、対立軸があるとすれば
「セクハラをする人」「セクハラをしない人」に分かれるのです。
セクハラをする人 | セクハラをしない人 |
セクハラをするかしないかは、相対的に力があるかどうかではなく
どのような行動をするか、どのような言葉を発するかによって決まります。
セクハラをする人
|
セクハラをしない人
|
「力があることを利用して、相手が嫌がることをするかどうか」という点で決まります。
性別は関係ありません。
その点ではパワハラと構造が同じものです。
どちらも、「男性が加害者」としてしまうことは非常に危険です。
加害者ではない、大多数の男性の存在を無視してしまうことになるからです。
また、被害者である男性の人権を貶める結果にもなります。
また、「女性が被害者」とすることも同様に危険です。
女性が加害者であった場合の被害者の人権が守られなくなります。
問題なのは性別ではなく、
「相対的に力の弱い者」が被害を受けるということです。
冤罪も、相手を相対的に力の弱くなるよう追い込んでいくところは同じしくみです。
例3:ジェンダー観
家事や育児は女性がするもの、女性は進学しなくてよい、など
2018年になっても、場所や人によっては
100年くらい前の価値観はまだ根強く残っているところがあります。
これも、男性vs女性という問題ではありません。
男性
|
女性
|
人権…というと大きすぎるかもしれませんが
「家でゴロゴロする権利のある人」「食事は食べるだけ、ダメ出しをするだけの人」
などと置き換えてみてもいいかもしれません。
これは、対立軸などではなく
生活する人
|
「生活する人」たちが、互いの権利を尊重しあって生活していけばいいだけの話です。
決して
「男性は全然家事をしないで自分の権利ばかり主張している!」
「女性は仕事ばっかりして子供の世話を全然しない!」
という話ではありません。
妊娠、出産を除けば
家庭生活のすべてのことは性別に関係ありません。
それぞれのひとに得意不得意が あるので
お互いに得意なことをしてサポートしあえるのがいいですよね。
男性vs女性ではなく、相手が嫌がる行動をするかどうかという話
例1の痴漢の話では
悪いのは「痴漢という犯罪行為をする人」。
例2のセクハラの話では
悪いのは「相対的に力があることを利用して人に嫌がらせをする人」。
例3のジェンダー的な役割の話では
悪い人などいません。
問題になっているのは性別ではなく
相手が嫌がる行動をするかどうか、ということです。
ほかにもきっと色々あるので考えてみます。