生涯、学習していきたい

いろいろなことを考えるのが好きです。

「老害」にならないために私がしたいこと

老害」という言葉があります。

その言葉を見ると、とても悲しい気持ちになります。

そして、そのような人にならないためには

どうしたらいいのかな、と考えるのです。

 

 

f:id:ponnkichi:20180626215023j:plain

https://www.pakutaso.com/20150239037post-5153.html



 

他人に害を与えるようになったら「老害

老害 とは」と検索すると、

グーグル先生はこのように教えてくださいました。

ろうがい

老害

自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪。

 

 「若手の活躍を妨げる」ようなことをすることなのですね。

 

確かに、時々お見かけすることがあります。

新しい提案に

「そんなやり方ではだめだ」

と、今までの自分のやり方を踏襲するように強要したり

年齢の若い人を見下したり

すぐに怒りをあらわにしてしまったりする方を。

 

「年齢を重ねたら仕方がないんだろうなあ」

「自信がなくなっていくから、自分を大きく見せたいんだろうなあ」などと思っていましたが

果たしてそれでいいのでしょうか。

 

私は最近40歳になりました。

平安時代でいうと高齢者です。

21世紀の現代でも、

油断していたらそろそろ「老害」になってしまうのでしょうか。

必要以上に、自分を大きく見せたくなってしまうのでしょうか。

 

ponnkichi.hatenablog.com

 

こちらの記事でも書きましたが、

人は年上になれば自動的にえらくなれるわけではありません。

 

このような勘違いをせず

謙虚で穏やかで、

新しい情報にも詳しく、

楽しく生き生きとしているような中高年になるには

一体どうしたらいいのでしょうか。

 

年齢を重ねていくのはどこか哀しい 

年齢を重ねるのはありがたい反面、

どこか寂しいものです。

 

かつては若くて元気だった自分が、

ゆるやかに静かに衰えていくのは悲しいことです。

 

また、長く生きれば生きるほど

共に支えあった仲間も減っていきます。

認め合える人がどんどんいなくなる寂しさは計り知れません。

ほかの人と共有できる情報や思い出も減っていきます。

 

また、徐々に体の調子も下り坂になります。

常にどこか痛かったり、

心がモヤモヤしていたりするようになります。

 

寂しさと辛さの中で周囲を見ていると

心豊かに生きている人に嫉妬をするようになります。

 

 

そうなると、他人に

自分と同等以上の苦労をしてほしくなります。

楽をしているように見える人が憎らしくなってきます。

 

心が豊かな人であれば

あとから続く人に同じ苦労をしてほしくない、と思うもの。

良い方向に変わっていってほしい、変えて行きたいと思うもの。

それがどんどんできなくなっていきます。

 

そうして、自分より楽をしている(ように見える)人を

攻撃したくなっていきます。

 

こうして、

老害」と言われてしまうような人物が出来上がるのです。

 

老害」にならないために

ゆるやかに衰えていくことは誰にも止められません。

どんどん自分より若く美しく元気な人が増えていくのも自然の摂理です。

仲間が減っていくこともあるでしょう。

どうしようもない寂しさに襲われることもあるでしょう。

「自分が正しい」と思うことにすがりたくもなるでしょう。

 

だから私は、

静かに下り坂を進む寂しさと手をつないで

仲良くしたいと思うのです。

 

体調が悪い時が増えても

そんな自分と親しくつきあいながら

優しく見守っていきたいと思うのです。

 

そして、そんな自分とつきあいながら

小さく、新しいことにチャレンジしてみたいと思うのです。

 

新しいことを始め、

知らない人と知り合いになり

今まで知らなかったことを学びたいと思うのです。

今まで専門分野として持っていた知識もどんどんアップデートしていき

話をするときにはちっぽけな経験則よりもデータを元に話をすすめたいと思うのです。

 

常に新しいことを探求し、

学ぶことをやめなかったら

心をどんどん豊かにしていくことができます。

 

心が豊かになれば、

他人の幸せを願うこともできるようになります。

自分と他人は違う人間であることを知り、

他人の考えを尊重できるようになります。

 

他人の考えを尊重できるようになったら

老害」ではなくなると思うのです。

 

これから感じていく寂しさも悲しさも、

すべて穏やかに受け止めて

前を向いて歩いて行きたいと思うのです。