生涯、学習していきたい

いろいろなことを考えるのが好きです。

最初に拒否されたのはラッキーなことだった

その昔、教育実習というものに行った時のことです。

教育実習そのものは基礎免許の教科で受けることになっていたので

中学校の社会科で実習をさせていただきました。

ただ、私は特別支援教育の道を志していたので

先生達との会話の中で

「実は、特別支援学校や支援級で働きたいと思っているんです」と

打ち明けたのでありました。

学校の廊下

https://www.pakutaso.com/20151046303tomei.html



 

 

 

後から思えば、社会科でお世話になっているのだから

そのような発言は不適切だったかもしれません。

 

当時私がいたところでは、特別支援の方面に進む人は

基礎免許で教育実習を受けなくてはいけませんでした。

そこで、社会科で教育実習をさせていただいていたという事情はあったにしろ

通常業務に加えて教育実習まで引き受けてくださっているのだから

特別支援教育の道に進みたい」ということは胸にしまっておくべきことだったのかもしれません。

 

 

(さらに注釈を加えると、当時はまだ「特殊教育」と言われていました)

 

そんなことはまるで考えていない

無神経な22歳の私

無邪気に「実は特別支援学校でうんぬんかんぬん」と言ったわけです。

 

すると、周囲にいた30代くらいの男性の先生が

「はあ?なんでそんなもんになりたいの」

とおっしゃいました。

 

他の先生達や指導教諭の先生もちょっと困った顔をして

「まあ、まあ」とその先生をおさめていました。

 

その時私は初めて

「なるほど…」と思ったのです。

 

 

大学に入ったあたりから、

私は発達障害にすごく興味を持って色々と勉強をしていました。

そのような授業を履修し、

週1で実習にも行かせていただいていました。

 

つまり、周囲にいる人は

特別支援教育に造詣が深く、理解のある方ばかりだったのです。

 

「なるほど、一般の中学校に行くと

特別支援教育の地位は『そんなもん』なんだなー…」

ということを初めて理解したのです。

その中学校の支援級には、専門の先生ではなく

新任の数学の先生が暫定的に担任をされていたのですが

校内での調整も大変なんだろうなあ、と思いました。

 

 

あとになって、ちきりんさんのブログを読んで

まさにこれだなあと思ったものです。

d.hatena.ne.jp

ちきりんさんと比べると

とてもとても小さなことですが、

私はあのとき

「はあ?なんでそんなもんになりたいの」と言われて

本当によかったのです。

 

無事に教職員として就職して、

地方の支援級に配属されて

すぐに「よかった」と思うことになりました。

 

予想していた通り、「新卒の支援級教員」の地位はとても低く

しかも数十年ぶりに支援級が作られた学校だったので

何か配慮をお願いしなくてはならなくなるたびに嫌な顔をされます。

体育祭などのような行事では

「同じことができないなんて迷惑だ」と言われ

学年の行事で同じことができないことを伝えると

「ああ、あの子たちがいたんだったね」とため息をつかれ。

 

まさに、中学校での地位は

『そんなもん』だったわけです。

 

もしも教育実習のときに、何も言われていなかったとしたら

ものすごい衝撃だったことでしょう。

ショックですぐに辞めてしまったかもしれません。

しかし、あの先生の一言のおかげであらかじめ覚悟を持つことができ、

大切な生徒さんたちのためにできる最善策は何なのかを考えることができ、

最初の2年を乗り切ることができたのです。

 

徐々に政治力も身につけ、

味方についてくれる人を増やし

その分自分が差し出せるものを多くしていって…としているうちに

どんどん環境が変わって行くのを実感できました。

 

そして、時代もどんどん変わっていきました。

社会全体が理解を深めていくような感覚が確かにありました。

 

 

それでも、最初のスタート以前に拒否されたのは

とってもラッキーなことでした。

 

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現在私は教職員ではありませんが、

特別支援が必要な子供の親となりました。

 

先人たちが体をはって築いてきてくれたものがあるから

安心して子供に合った教育を受けることができています。

これからは、あとに続く方にとってよりよい世の中になるように

自分にできることは何かを考え、行動していきたいと思っています。