生涯、学習していきたい

2018年はプログラミング学習に凝っています。

「不便っていいところもあるよね」ってほんと?

こんにちは、先日の雪で珍しく朝のニュースをつけたら

「便利すぎて逆に不便」という番組をしていました。

 

世の中便利になっているけれど、私たちの生活は豊かになっているのかなあ?と。

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http://www.irasutoya.com/2017/05/blog-post_395.html


 

 

 

「世の中便利になっていくことに大賛成!」

「技術革新万歳!」

「アマゾンの実店舗すごいーー!」

という私には出だしからちょっと意味がわからなかったのですが、

番組はこのような例で構成されていました。

スマホを手放した人に奨励金を出したら、業績がアップした会社の話

ある会社では、

昼休み中などにも個々人がそれぞれスマホをいじり、

会話らしい会話がなかったそうです。

そこに危機感を持った社長が、「スマホを持っていない人には奨励金を出す」としたところ、多くの社員がガラケーになり

その結果、会話が増えて業績が上がったということ。

 

f:id:ponnkichi:20171219214742p:plain「奨励金とはすごい…

 月に5000円ですって。

でも、それで会話が増えて業績が上がったってほんと?」

 

画面で会話をしている社員さんたち、どう見てもやらせっぽいけど??

思わずテレビにつっこみ。

 

ただ、社長のセリフは心に残りました。

「デジタルな時代だからこそ、アナログな能力は必要。」

それはそのとおりだ…!そこに異論はない。

 目的はスマホを持たないことでなく、社員同士のコミュニケーションでしょ?

でも、

スマホだろうがガラケーだろうが何を持っていたって

会話をする人はするし、しない人はしないのではないかな。

スマホを持っていると、

「もともと会話をする人」が画面を見ている時間は長くなるかもしれない。

けれど、「もともと会話をしない人」は何を持っていても会話しないことに変わりはないのでは。

ちなみに、ガラケー時代を生きてきたぽんきち氏ですが、ずーっと携帯いじっている人って昔からいましたよ。

 

ここで問題なのはスマホがどうのということではなくて

どのように周囲の社員と関わるか」ということなのではないでしょうか。

会話を増やすためのデザインとして「スマホを持たないと奨励金」というのは面白いアイディアだけれど

スマホを持ち込ませないためのデザインはほかにもあるんじゃないかな?

会話を増やすためのデザインはほかにもあるんじゃないかな?

 

目的は「スマホを持たせない」ことではなく

「社員同士のコミュニケーション」なのだから

「不便がいい」というテーマとは少し違うのではないかと思いました。

 

 

お手紙

次の例は、お手紙。

ジュエリーショップの店員さんが、美しい手書きの文字でお客様にお手紙を書いていらっしゃいます。

f:id:ponnkichi:20171219214742p:plain「あなうつくし」

 

 

 

店員さんも美しければ字も美しい。

そしてお客様も字まで美しい。

(そしておそらくジュエリーも美しい)

これは嬉しいだろうなあと思いました!

私も、心のこもった手書きのお手紙をいただくととても嬉しいです。

「不便だからいい」ではない。問題は心に響くかどうか。

手書きの手紙は、確かにメールを打ったり印刷のDMを送るよりも時間がかかるけれど

確実に心に届く、いい方法だと思いました。

なるほど…不便だけれどもいいものってあるよね。

 

でも、心のこもっていない(しかも字の汚い)誰だか知らない人からの手書きのDMはいらない。

そしてこの違いは大きい。

むしろ、「読めない字のDMをポスティングして…!」

とイラっとくる危険性すらもあります。

「不便だからいい」とは断じて思わないのです。

 

あまりバリアフリーじゃない介護施設

最後に出てきたのは、「あまりバリアフリーじゃない介護施設」。

「バリアアリー」と題されていました。。

あえて手すりのない廊下、あえて少し急な階段を歩くことで

もともと持っていた機能を回復させるというもの。

ほかには、足で漕ぐタイプの車椅子も紹介されていました。

「不便もいいでしょ」を言い訳にするなら賛成できない

これに関しては2通りの思いが交錯しました。

ひとつは、

  • 身体を動かすためには、少し不便なのも確かにいい
  • 機能が回復して喜ばれている方もいらっしゃる
  • 自分で自分の身体を動かすことができたら自信がつき、精神面にもいい(その点で足こぎ車椅子は非常に優れたアイディアだと思う)

もうひとつは、

  • 「不便なのもいいでしょ」ということを言い訳に、本当に必要な整備が進まないのは断固反対

というものです。

たとえば、機能を回復させることのできる方はいいけれど

完全に両足がない状態の方や、小児麻痺等で完全に下肢を動かせない方、

内部障害で階段を上がることのできない方などは

非常に困ることになります。

「不便」ではなく、「断絶」です。

「ちょっとの不便もいいね」という方々の陰で、全く移動ができなくなる人が出ることはとても嫌だなあと思います。

バリアフリーを進めた上での「バリアアリー」ならいいと思いますが

どちらかを選択できる状態ではなく、「バリアアリー」を押し付けられるだけだとしたら。

それは動けるものの奢りであり、到底受け入れられるものではありません。

 

「便利なこと」が問題なわけじゃないのでは?

これらは、「不便」というテーマでくくられてはいるけれど

問題は別のところにあるのではないかと感じました。

「私たちの暮らしは便利になったけれど、心は豊かになったかな?」

と疑問に思うのであれば

便利さを1段階下げようとするのではなく、

心を豊かにする方法、デザインを考えたほうがいいんじゃないの?と思いましたね。

 

私は「便利」に賛同します

私は世の中がどんどん変わって、どんどん便利になっていくといいと思います。

便利になり、社会が豊かになると

今まで権利を抑圧されてきた方々が、自由に外出したり生活を楽しんだり勉強をしたりすることができるようになるからです。

 

不便でもなんとかなるのは、元気で若いから。

何らかの障害や病気を抱えていたり、その社会でのマイノリティであったりすると

自由に出歩くことすらできなかったりするのです。

そのような方々も社会で活躍できるようになるのは社会の成長にもつながります。

さらに、高齢化が進んでもより多くの人が豊かで楽しく生活できるようになる可能性がある。

 

 

たとえば、完全自動運転車が普及したら高齢の方も移動の足が確保できる、というように。

 

私は今後もどんどん便利になっていってほしい。

 

 

さいごに:デザインとしての不便

番組では「便利になりすぎて逆に不便」

「だから不便のよさを見直そう」という方向で取り上げられていたので

全面的に反対をしましたが、

一つ一つの事例で「不便」をデザインするのはおもしろいかもしれないとは思います。

www.nhk.or.jp

 

最初から便利にはしない!不便がいちばん!

ほら、不便のほうがいいから便利にしなくていいでしょ??というのではなく

「便利」の上に、小さな「不便」をデザインするイメージですね。

ああ、でも、全面的に賛成したい感じでもない…。

もっと考えようと思います。